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2020/12/24 17:53
幕末から明治初期にかけての西欧医学の導入に際して、漢方医はわりとスムーズに西欧医に移行したが、鍼医もしくは鍼灸医については、当時の西欧医学には対応する技法もないため医療職からは除外され、「盲人の職業防護」との名目で、慰安業としての、はり・きゆう・按摩の資格と盲学校が残された。
先述の鍼管の発明や、技法の独自発達も、これら視覚の不自由な術者が技法を担った事によりなされた側面が強く、江戸ご時世の盲人鍼灸医が果たした役割は非常に大きい。
けれども、実際には、明治天皇はじめ鍼灸に信用を寄せる人々も多く、鍼灸は現実には戦前までの国民医療の一端を担ってきたのが実情である。
日本においては、生薬方を用いる医師と鍼灸を用いる鍼灸医は、早いご時世から分業化していたことが知られているが、分業が決定的になったのは江戸ご時世の盲人政策による。
盲人が鍼灸を担った歩みは世の中の鍼灸を見渡しても例がなく、日本の鍼灸はとても特異な経緯をたどったものと言える。
これにより、日本においては、一般的な生薬を用いる医師(漢方医)と、盲人による鍼を用いる医師(鍼医)が医療の担い手となる。
戦後、それまで営業鑑札であったはりきゆうの免許が国家資格となり、幾度かの法改正を経て、現在では3年以上養成機関で学ぶことが、「はり師」と「きゅう師」の国家試験受験要件となっている。
幕府の方針として「按摩」を盲人の専業として規定したところから、手技が連続する鍼灸も時を経ずして盲人の職業となっていった。